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佃昌樹さんと語ろう
元同僚からの手紙





佃昌樹さんと語ろう
 10月19日が投票日の薩摩川内市議選に立候補を予定されている、元川薩支部長で現薩摩川内市議の佃昌樹さんにお話をうかがいました。(聞き手:北薩支部濱田書記長)

☆まずは、佃さんご自身のことについておうかがいします。
濱田 生年月日と年齢、どこに住んでいるかを教えてください。
  1943年3月満州国大連市に生まれました。わたしの「平和」の原点はここにあります。3歳のときに引き上げ、それから、(川内市)平佐町に住んでいます。現在65歳。
濱田 ご趣味は何ですか?
 新聞を隅から、隅まで1時間かけて読むことです。これが朝の日課であり、議員としても役に立っています。
濱田 前年、心臓の手術をなさったとのことですが、その後の経過と現在の体調を教えてください。
  昨年8月、心臓の「弁」を人工の弁にとりかえる手術をしました。心臓を止めての手術でしたので、覚悟をしましたが、成功してほっとしています。手術から1年たちましたが、手術前より疲れもなく動けるようになり、良かったと思っています。無理をしないように、でも少し無理をしながら選挙に向けてがんばっています。

☆次に、現職の市議さんとして
濱田 薩摩川内市議として2期7年、どのような課題にとりくんでこられましたか?
  原発の問題、地方分権(住民が自ら運営する地方都市としての政治)のあり方、教育の問題(多忙化など)、福祉、労働問題など多岐にわたりますが、最近は産業廃棄物処分場や後期高齢者医療制度の問題などについて市の姿勢を追及しています。
濱田 特に教育問題について、元教職員という経験がどのように役立ったとお考えでしょうか?
  教育については、どの議員も学校教育を受け、PTAなどの関わりなどもあることから、みなさん発言されます。しかし、わたしは、教職員出身、特に鹿教組の出身ということで、中身で勝負しています。抽象論ではなく、現場の実態から話をします。ですから、答弁する教育長もごまかしがきかないだろうと思っています。
濱田 今回の選挙から、薩摩川内全域という新たな枠組みとなりましたが、このことについて何か思うところがありましたら、お答えください。
  今回から、市内全域統一しての選挙と言うことで、票が全く読めないという不安があります。また、「社民党」という政党がどの程度地方で支持されるのか、気になります。
濱田 当選したら、県政連議員としてどのようなことを組合員に還元できるとお考えですか?
  薩摩川内市の教職員の多忙化の問題、市独自の行事の精選等について、しつこく言い続けていきたいと思っています。教職員の働きやすい職場が、子どもたちのとっても学びやすい場所であるからです。また、社民党が押している政策の実現についても、市政の中に反映できるようがんばりたいと思っています。特に原発増設の問題については、いよいよ現実のものとなってくる中で、反対の立場で戦っていきたいと考えています。薩摩川内市議会の中で反対の立場を表明しているのは、わたしと共産党の議員だけです。なんとしてでも、当選しなければと思っています。



元同僚からの手紙
 「先生とは何を教えるのか?」と飲み方で不意に佃先生から質問され、戸惑ったことがありました。先生も若い頃、先輩教諭に問われ、その時「『自分が経験したこと』を教える」と答えられたそうです。まだ若輩者の私に「生徒に『まこと』を教えるためにも、いろんなことを経験しなさい」という佃先生のメッセージだったのだと有り難く受け止め、心の中であたため続けてきました。そして先生こそ、まさにそのお言葉通りに生きてこられた方だと思います。
 日頃は言葉少なで穏やかな表情なのですが、そこにいらっしゃるだけで、場の雰囲気が引き締まる…まさに学年主任や生徒指導主任として学校の要になるべき方でありました。一人ひとりに考えさせる生徒への指導。「とにかくやりたいようにやりなさい」と若い教師を育てる姿勢。しかし、しかるべき時には、生徒にも同僚にも毅然とした態度で接されていました。「いつも全体をよく見ながら、どうしたらいいか考えているんだよ」と笑いながら語られたことがありましたが、一言一言に裏付けがあり、重みがあり、あたたかさがあり、そこに先生の深い愛情が感じられるのです。冒頭に述べたように、先生の言葉や行動、すべてが「まこと」でした。きっとお若いうちから、一つひとつのことを真剣に考えられ、そしてご自分が納得されるように行動されてきた方ならではの「存在感」だったと思います。そんな先生ですから、生徒にはもちろん、同僚や保護者、地域の方々から慕われていたことは言うまでもありません。
 佃先生は、私の十数年の教員生活の中でも、印象に残る素晴らしい先生として、胸を張って紹介できる方です。先生を知る方はその存在感の大きさには納得されるはずです。先生が退職されるまでの2年間、同じ学年部で働かせていただき、人間として、教師として、実にたくさんのことを学ばせていただきました。先生が現場を離れられると聞いて淋しく残念に思ったのも事実です。しかし先生の決心は固く、そこには民主教育と平和を守りぬくという心意気、そしてふるさと川内を愛する気持ちが強く感じられました。
 あれから7年がたち、この5月、離島勤務を終えた私は4年ぶりに先生にお会いしました。先生の存在感も健在で、そのお心意気も、ふるさとへの強い思いも少しもお変わりありませんでした。「勉強することが毎日本当にたくさんあるんだよ。みんなが気づかないところも指摘しなければならないからね」と笑いながら語られた先生。教育現場の大変さも世の情勢もご存じだからこそ、お仕事に誠心誠意とりくまれている様子が伝わってきました。教育現場のためにも、そして薩摩川内市のためにも、今こそまさに先生の「まこと」が求められているのだと信じています。
元同僚より

 

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