初めてボランティアに参加しました。日教組は全国から23名参加(内女性3名、岩手県教組は現地から2〜3名合流)し、今年閉校になった岩手の小学校をベースキャンプに基幹労連・自治労大阪・日教組の3単組が女性6名を含む総勢64名で共同生活をしました。日教組の作業場所はベースキャンプから1時間半かかる大船渡市です。
作業内容は、被災車両のナンバーや車種を記録する仕事や支援物資の仕分け、津波で浸かった家屋の泥出し等です。災害車両は、空き地に数千台という車が置かれており×と書かれた車は遺体が見つかった印だと聞かされ、生々しい現場を見たような気がしました。支援物資は、送られた箱物をそのまま被災者に手渡すのではなく、中身を確認し夏物・冬物・子供用・大人用・サイズごとなど細かく仕分けし、ようやく被災者の手元に届くのです。学校の体育館に山積された物資を、被災者に届けられるよう完了しました。
家屋の泥出し作業では、2軒ともおばあちゃんが住んでおり、わたしたちに津波の様子を淡々と語ってくれました。それは地震の後、津波警報が鳴りしばらくして波が家を飲み込む“バキッバキッ”という音と共に新幹線がホームに入る「プシュー」と似た音で静かに波が押し寄せて来たそうです。柱時計は3:30で止まっていました。凄まじい災害の爪あとは、家屋を飲み込み一面焼け野原になり骨組みだけのビルと曲がった線路、魚の腐ったような臭いやハエの多さで景色を変えてしまいました。そしてたくさんの自衛隊員、機動隊員がヘルメットを被り捜索作業や重機でビルの解体をし、空には何機もヘリが飛び、「戦場か・・・」と錯覚するほど目の当たりの現実に息を呑み、自分がどこに居るのか判らなくなりそうです。それでも、被災地の人たちの心は温かく何度も苦境を乗り越え立ち上がる強さに東北の底力を見た気がします。
わたしたちにできることは団結を力にし、情報を正確にとらえ今何が必要なのか判断し行動することだと思いました。ボランティアに入る時、事務局から注意がありました。「被災者の前で決して“がれき”とか“ごみ”とか言わないでください。」メディアでは同情しながらもあたり前のように使っています。被災者が観たらどう思うのでしょうか。政府には腰を据えて現実味のある支援を心から願います。復興には三年がめどだと聞きました。又3年後、現地を訪ねてみたいと思っています。
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