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教育基本法「政府法案」に反対する日教組見解
2006年 5 月16日
                                 日本教職員組合
                     
 政府は、4月28日、教育基本法の「改正」法案を今国会に上程し、5月16日、衆議院本会議にて趣旨説明を行った。このことは、政府・与党内で密室のうちに協議し、なぜ改正が必要なのか結論に至る過程を国民には明らかにしないまま審議をすすめるものであり断じて容認できない。
 日教組は、「政府法案」に反対し、その廃案を求めて主な問題を指摘する。
1.教育基本法の理念、公教育のあり方を根本から変えることに強く反対する
 現行の教育基本法は、「憲法の理想の実現は教育にまつべきもの」として、教育の目的を「人格の完成」におき、「一人ひとりの学習権を保障する」ための国の責務を規定している。しかし、「政府法案」は、教育の目的に「人格の完成を目指し」は残しながらも「必要な資質を備えた国民の育成」を定めている。「必要な資質」の具体的な内容として、知識と教養、豊かな情操と道徳心、公共の精神、伝統と文化の尊重、国と郷土への愛などを教育目標としている。「政府法案」は、「人格の完成」から「人材の育成」へと公教育のあり方を根本から変えている。グローバル化した大競争時代を勝ち抜く国家戦略の手段として公教育を位置づけている。そして、教育に市場原理、競争主義を持ち込み、その結果分断される個を「公共心」や「我が国と郷土を愛する」ことで国家の枠組みで統合しようとする。そこからは、格差拡大はあっても、連帯や協力・協働の視点、平和な社会の主体的な形成者を育む観点は見出せない。同時に、社会教育の軽視は、改正のねらいが学校教育における国家政策の強化にあるといえる。また、「宗教的情操」の文言は盛り込まれなかったが「宗教に関する一般的な教養」が入った。これらのことは、まさに、「国民の教育権」から「国家のための教育」へ大きく転換するものである。

2.共生・共学、教育の機会均等を保障するため、教育環境格差の拡大こそ解決すべき課題である
 「政府法案」の第4条では、「ひとしく」という文言は残ったものの第2条、第5条で「個人の能力を伸ばし」と個人の能力の伸長が強調されている。障害児への教育支援についても「障害の状態に応じ」と、「特別支援教育」よりも後退し「特殊教育」につながる規定となっている。このことは、国際的な流れであるインクルーシヴ教育の観点からも逆行するものである。また、義務教育の年限や男女共学の条文も削除されている。
 今日の子どもたちの教育環境は、経済的な背景などが就学や進路選択にも大きく影響しており就学援助を受ける子どもの数も増加している。能力主義による選別、経済格差・地域格差など教育の機会格差が拡大しつつある現状から見れば、機会の均等は必ず保障されなければならない。地域・性別・階層・国籍などによる教育環境格差が拡大していることこそ教育行政の解決すべき課題である。すべての子どもたちの教育条件整備・充実、共生・共学、教育の機会均等など、子どもの権利条約の具現化に努めるべきである。
 
3.個人の内心にかかわることを法律で規定すべきではない
 「政府法案」は、教育の目的や目標に「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」「公共の精神」など個人の内心にかかわる事項を規定し、態度を強調している。これらが、法律で定められれば、すべての国民に強要されることも考えられる。それは、憲法が保障する思想・良心の自由に抵触する。そもそも個人の内心の自由にかかわることを法律で規定すべきではない。法律で規定することにより、教育現場では「国を愛する態度」の実践・指導が課され、その実施状況の点検・調査が始まり、子どもたちへの評価につながる。このことは、「国旗・国歌」法が成立した後の学校現場での「日の丸・君が代」の強制の現実をみても明らかである。
 一人ひとりに様々な「郷土」や「生い立ち」があり、「国を愛する」ことについても一人ひとりの心の問題である。また、国際化の流れとともに、学校ではさまざまな子どもたちが学んでいる。一つの価値を押し付けるのではなく、多様性を認め合う教育こそが必要だと考える。

4.学校・家庭・地域への役割と責任の義務付けは、基本的人権の侵害につながる
 現行の教育基本法では、教員を「全体の奉仕者」、教育行政には「国民全体に対し直接責任を負うべき」と規定し、教育が国民のために行われることを謳っている。しかし、「政府法案」では、「全体の奉仕者」「国民全体に対する直接責任」の文言が削除されている。他の条文とも合わせると、学校教育は、国民のためというより国家のために、教育の責任をもつように読みとれる。
 一方で、家庭教育を新設して「子の教育について第一義的責任を有する」として、家庭教育の具体的な内容までも示している。教員には「自己の崇高な使命の自覚」と規定しており、国家のために職務に邁進する教員像を想定させる。学校現場には、様々な職種の教職員が協力・協働で子どもたちの教育にかかわっている。条文からは、教職員の協力・協働の視点が見えてこない。また、学校・家庭・地域住民に「それぞれの役割と責任」「相互の連携・協力」を規定した。このことは、学校教育、幼児教育、家庭教育など、市民生活全般にわたって役割と責任が義務付けられ、行政の関与を強めることになる。それは、個人の基本的人権を侵害し、憲法や教育基本法の理念を否定することにつながる。

5.政府主導による教育振興基本計画の策定は、教育の主体性や自律性が失われる
 現行教育基本法は、教育の独立性を定め、教育への不当な支配を戒めている。しかし、「政府法案」には、文言は残ったものの後に「他の法律の定めるところにより」の挿入など新たな内容が盛り込まれた。また、政府や地方公共団体による教育振興基本計画や施策の策定が明記された。教育政策の定立が立法府による法律制定から行政府による計画策定に移行し、政府主導で教育政策がすすめられることになる。近年、教育行政に対する内閣府などの影響力が強くなっているが、さらに強まることが予想され、教育の主体性や自律性が失われることになりかねない。
現行法の理念にもとづく教育条件整備・拡充の財源確保こそ、計画的に図られるべきである。

6.検証・審議過程を明らかにせず、国民不在の「改正」論議は、断じて容認できない
 教育基本法の改正については、なぜ改正が必要なのか、改正により教育がどう変わるのかなど、これまでの審議経過を一切国民に明らかにせず、政府・与党内で密室のうちに協議されてきた。この3年間で70回とされる与党検討会は、資料も回収するなど非公開で行われた。「愛国心」を盛り込むための「言葉さがし」に工面したという自公両党の「妥協の産物」といえる。
 教育の憲法である教育基本法の改正は、慎重を期すべきであり、これまでの教育政策について十分に検証すべきである。
 この間の世論調査などでも慎重審議を求める意見が多く、メディアの報道においても「あわてる必要はない」「なぜ、そんなに急ぐのか」「なぜ、改正が必要なのか」など、「政府法案」の問題点を指摘したり、拙速な決め方を批判しているものが多い。
 日教組は、拙速な法案提出をすることなく、憲法をはじめとする国内法や「子どもの権利条約」などの国際条約を踏まえ、「教育基本法調査会」を衆参両院に設置し、そこにおいて慎重かつ徹底審議を行うことを求めてきた。

 政府・与党は、衆議院に特別委員会を設置して、今国会の会期内に成立させようとしている。しかし、なぜ改正を急ぐのかその理由は明らかになっていない。改正するのならばなおさら、国民に開かれた議論を喚起し、多くの国民の意見を反映し時間をかけて論議をすべきである。このような政治主導の動きと拙速な審議で、21世紀を生きる子どもたちの教育の根幹を決めることは断じて許されない。「政府法案」からは、子どもたちが将来の夢を描き、生き生きと学ぶ姿が見えてこない。わたしたちは、国民不在の「政府法案」に反対し、その廃案を強く求める。

<補足説明>

1.教育基本法の基本理念、公教育のあり方を根本から変えることに強く反対する

(1) グローバル化した大競争時代を勝ち抜くための「人材育成」を目的とする国家戦略へシフトしている
 現行の教育基本法は、前文で「憲法の理想の実現は教育にまつべきもの」として、真理と平和を希求する人間の育成、個性ゆたかな文化の創造をめざす教育の普及徹底を掲げた。そして、第1条では教育の目的を「人格完成」におき、第2条以降で学問の自由の尊重、教育の機会均等など、「学ぶ権利を保障する」ための国の責務が示されている。
「政府法案」の前文では、憲法の前提である「民主的で文化的な国家」「個人の尊厳」などは残されたが、「平和を希求する」「個性ゆたかな文化の創造」が削られ、@正義の希求、A公共の精神の尊重B伝統の継承、新しい文化の創造Cその振興を図るなどが追加された。
 第1条では、教育の目的として「人格の完成を目指し」を残しながらも「必要な資質を備えた国民の育成」と定めている。「必要な資質」の具体的な内容は、第2条教育の目標で@知識と教養、真理、豊かな情操と道徳心、A個人の価値、創造性、自主的精神、職業・勤労の重視、B正義と責任、自他の敬愛と協力、公共の精神、C生命の尊重、自然・環境の保全、D伝統と文化の尊重、国と郷土への愛、他国の尊重、国際平和など達成すべき事項を盛り込んでいる。もっとも大きく改正されたのがこの第2条「教育の目標」の規定であり、分量も約4倍に増えている。
 現行法制では、各学校段階ごとの教育目的は、学校教育法に規定されているが、「改正」法案は数ある校種のうち大学についてだけ目的を規定している。大学教育の目的を規定するのは、経済のグローバル化に対応するための科学技術の推進と人材開発の要請に応えるためであると考えられる。法案に「専門的能力を培う」ことや「教育及び研究の成果を広く社会に提供することにより、その発展に寄与するものとする」ことを明記している。また、新たに盛り込まれた条文についても、学校・家庭・地域社会すべてが連携して「国家」に役立つ人間づくりをめざしていく方向となっている。
 「政府法案」は、現行の教育基本法の基本理念を大きく変更して、グローバル化した大競争時代を勝ち抜くための「人材育成」を目的とする国家戦略の手段として公教育が位置づけられることを示している。国の経済発展という国家戦略の視点から公教育を捉えているといえる。そして、教育に市場原理・競争主義を持ち込み、その結果分断される個を「公共心」や「我が国と郷土を愛する」ことを持ち出して国家の枠組みで統合しようとしている。そこからは、連帯や協力・協働の視点、平和な社会の主体的な形成者を育む観点は見出せない。また、教育の目的・目標が学校教育を中心として考えられているため、一方で社会教育は、「社会の振興に努めなければならない」とさえた。このような社会教育の軽視は、改正のねらいが学校教育における国家政策の強化にあるといえる。また、「宗教的情操」の文言は盛り込まれなかったが、「宗教に関する一般的な教養」が入った。「宗教的情操」については、中教審の段階では、「宗教的情操をはぐくむことは重要」と明記された経緯もある。これらのことは、まさに、「国民の教育権」から「国家のための教育」へ大きく転換するものである。

(2)共生・共学、教育の機会均等を保障するため、教育環境格差の拡大こそ解決すべき課題である
 「政府法案」では、第4条(教育の機会均等)第1項に「ひとしく」という文言は残ったものの第2条(教育の目標)第2項で「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし」、第5条(義務教育)第2項で「個人の能力を伸ばし」と個人の能力の伸長を強く打ち出している。
 また、第4条(教育の機会均等)第2項では障害児への教育支援について「障害の状態に応じ」と、「特別支援教育」よりも後退したものとなっている。このことは「特殊教育」につながる規定であり、国際的な流れであるインクルーシヴ教育からも逆行する。さらに、義務教育の年限や第5条男女共学の条文も削除されている。
 現行教育基本法は、第11条で「この法律に掲げる諸事項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない」と規定し、教育の諸課題に対応できるようになっている。すでに、関係する諸法令が整備され、学校や地域において、人権教育、ジェンダーの視点に立った教育、国際連帯の教育、インクルーシヴ教育などが実践されている。
 今日の子どもたちの教育環境は、義務教育段階ですでに大きな差があり、保護者の経済的な背景などが就学及び進路選択にも大きく影響しており、就学援助を受ける子どもの数も増加している。能力主義による選別、経済格差・地域格差など「教育の機会格差」が拡大しつつある現状から見れば、機会の均等は必ず保障されなければならない。地域・性別・階層・国籍などによる格差が拡大していることことこそ教育行政が解決すべき課題である。子どもたちや学習者の教育条件の整備・充実、共生・共学、教育の機会均等など、すべての子どもの教育への権利保障を規定する子どもの権利条約の具現化に努めるべきである。

2.教育基本法の本質的なことが大きく転換され、憲法に抵触する

(1) 個人の内心に関わることを法律で規定すべきではない
 現行教育基本法は、前文に憲法との関係を明確に示し、各条文の理念や価値は憲法と対応している。
 しかし、「政府法案」は、教育の目的や条文に「伝統を文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき」など個人の内面にかかわる事項を規定し、態度を強調している。これらが法律で定められれば、すべての国民に強要されることも考えられる。そのことは、憲法が保障する思想・良心の自由に抵触する。そもそも個人の内面の自由に関することを法律で規定すべきではない。

(2) 一つの価値を押し付けるのではなく、多様性を認め合う教育こそが必要である
 法律で「国を愛する態度を養うこと」が定められれば、学習指導要領にも反映され、教育現場で「国を愛する態度」を実践や指導が課され、その実施状況の点検・調査が始まり、子どもたちへの評価につながることが心配される。このことは、「国旗・国歌」法が成立した後の学校現場での「日の丸・君が代」の強制の現実をみても明らかである。
 条文には「我が国と郷土を愛するとともに」とあるが、一人ひとりに様々な「郷土」があり「生い立ち」がある。だからこそ、「我が国と郷土を愛する」など内心にかかわることを定義したり、法律に盛り込むべきではない。
 「国を愛する」ことは、一人ひとりの心の問題であり、それを法律に書き込むことで強制がうまれ、憲法で保障された思想・良心の自由を侵害することになる。国際化の流れとともに、学校ではさまざまな子どもたちが学んでいる。「他国を尊重し、国際社会の平和と発展」を願うならば、一つの価値を押し付けるのではなく、多様性を認め合う教育こそが必要だと考える

(3)学校・家庭・地域への役割と責任の義務付けは、基本的人権の侵害につながる
 現行法第6条第2項、第10条では、「学校の教員は全体の奉仕者」であり、「教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」として、教育が国民のために行われることを規定している。しかし、「政府法案」の第9条や教育行政を規定する第16条からは「全体の奉仕者」「国民全体に対する直接責任」の文言が削除されている。教育の目的や目標なども合わせてみると、学校教育やそれを担う教員は、国民のためというより、国家のために責任をもつことが求められることになる。
 第10条(家庭教育)では「父母その他の保護者」に「子の教育について第一義的責任を有する」として「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達をはかるように努める」など家庭教育の内容までも具体的に示している。これは、家庭のあり方に行政が踏み込むことになりかねない。
 また、教員に対しては、現行法第6条の学校教育に含まれている規定を「政府法案」では、第9条に取り出して規定し、「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励む」ことを求めている。これは、国家のために職務に邁進する教員像を想定させるものである。学校現場には、教員だけでなく、様々な職種の教職員が協力・協働のもと子どもたちの教育にかかわっている。条文からは、学校教育にかかわる教職員の協力・協働の視点が見えてこない。
 さらに、第13条の学校、家庭及び地域住民等に「教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努める」と、国家政策に従った教育を行うよう責任を義務付けるような内容となっている。また、学校、家庭および地域住民に、「公共の精神」「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを求めるなど、学校教育、幼児教育、家庭教育、生涯教育など、市民生活全般にわたって行政の関与が強化される恐れがある。このことは、国民の教育権を侵害し、憲法や教育基本法の理念を否定するものである。

(4)政府主導による教育振興基本計画の策定は、教育の主体性や自立性が失われる
 現行教育基本法は、教育の独立性を定め、教育への不当な支配を戒めている。しかし、「政府法案」には、文言は残ったものの後に、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われなければならない」の挿入など、新たに盛り込まれた。第18条に政府や地方公共団体による教育振興に関する基本計画や施策の策定が明記された。法案が打ち出している教育振興基本計画の策定は、教育政策の定立が立法府による法律制定から行政府による計画策定に移行することになり、教育行政の在り方を根本から変えるものである。このことは、政府主導で教育政策がすすめられることを示し、教育行政の主体性や自律性が失われることになりかねない。学校やその他の教育機関においては、一律の目標管理による効率的な学校運営が優先され、目標達成状況の評価によって教育予算の配分が決められるなど、教育への行政の関与がさらに強まることが心配される。
 
3.検証・審議過程を明らかにせず、国民不在の「改正」論議は、断じて容認できない

(1) 審議過程を明らかにし、広く国民の意見を求めるべきである
 今回の「政府法案」については、政府・与党内で密室のうちに協議されてきた。この3年間で70回とされる与党検討会は、資料も回収するなど非公開で行われてきた。「愛国心」を盛り込むための「言葉さがし」に工面したと自公両党の「妥協の産物」であるといえる。また、なぜ改正が必要なのか結論に至る過程が国民には一切明らかにされていない。
 このような状況下で示された「政府法案」は、自民・公明両党の思惑の中で、両方の立場を考慮した政治色の強いものとなったと言わざるを得ない。これからの教育にどう生きるのか、教育がどう変わるのかという国民への説明がほとんどなされていない。与党検討会・協議会の審議過程を明らかにし、広く国民の意見を求めるべきである。

(2)国民不在の政府「改正」法案に反対し、その廃案を強く求める
 教育関係法の根幹であり、教育の憲法とも言われる教育基本法の改正については、慎重を期すべきであり、教育基本法の理念を実現するため教育政策がどのように行われてきたかなど十分に検証すべきである。
 日本PTA全国協議会の調査(05年3月)では、「教育基本法の内容をよく知らない」と答えた人が88.6%、06年3月の同調査では「中教審答申をふまえて議論を深めたうえで改正すべきか考える」と答えた人は53.1%となっている。また、03年調査や04年調査に比べると、06年調査では「答申をふまえて議論を深めたうえで改正すべきか考える」や「改正する必要はない」といった意見が多くなっている。NHK調査(06年3月)では、教育基本法を改正すべきだとする人でも76%が「今の国会での成立にはこだわらず、時間をかけて議論すべきだ」と、早急に結論を出すのではなく、十分な議論が必要であると答えている。
 メディアの報道においても「『愛国心』の本音がちらり」、「あわてる必要はない」「なぜ、そんなに急ぐのか教育基本法改正案」「なぜ、改正が必要なのか」など、今回の「政府法案」の問題点を指摘したり、拙速な決め方を批判しているものが多い。これが国民世論の現状であると考える。
 日教組は、拙速な法案提出をすることなく、憲法をはじめとする国内法や「子どもの権利条約」などの国際条約を踏まえ、「教育基本法調査会」を衆参両院に設置し、そこにおいて慎重かつ徹底審議を行うことを求めてきた。
 政府・与党は、衆議院に特別委員会を設置してでも、今国会の会期内に成立させようと動いている。なぜ改正を急ぐのかその理由は明らかになっていない。改正するのならばなおさら、国民に開かれた議論を喚起し、審議をすすめる場合には、多くの国民の意見を反映し時間をかけて論議をすることが必要である。このような政治主導の動きと拙速な審議で、21世紀を生きる子どもたちの教育の根幹を決めることは断じて許されない。
 「政府法案」からは、子どもたちが将来の夢を描き、生き生きと学ぶ姿が見えてこない。
わたしたちは、子ども・保護者など国民不在の政府「改正」法案に反対し、その廃案を強く求める。
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