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女性部への扉
第47回県母と女性教職員の会
「教育改革」とは、子ども・教育を商品化し、「使い捨て」にしていくこと・・・。
〜小沢牧子さん講演から〜

 11月18日、鹿児島市長田中学校で、「第47回県母と女性教職員の会」が開催され、約250名が参加した。午前中は、開会行事と講演が行われた。開会行事の中で、「母女との関わり」について肝属の母親がメッセージを述べた。講演は、小沢牧子さん(和光大学オープンカレッジ講師)が「今、子どもたちのいるところ〜『教育改革』はどこへいくのか〜」と題して講演した。
 午後からは、「小学校・中学校・環境のもんだい・女のもんだい・平和のもんだい・母女運動」の分科会で討論した。小学校の分科会では、「子どもが『みんな一緒にという強制』(30人31脚のとりくみ)で苦しめられ、居場所を失った」という母親からの問題提起、もう1本は「先生とどういう関係をつくっていくか?」という視点での母親からの問題提起を受けた。また、平和の分科会では、被爆者が62年間の思いを提起した。
 母女は、今年、全国・九ブロで54回目となり、また各支部でも開催されている。そもそもの運動の起こりは、教職員だけで平和を守ることができないという政治状況(1950年代)から母親と手をつなぐ運動を始め、子どもに十分な教育を保障するためには教育条件の整備が必要だと、行政へ働きかけていった運動の歴史がある。現在、母親の土・日の就業状況や教職員と母親の関係の希薄化もあり、継続的な課題となっているが、分科会では本音の議論が行われている。
 以下は講演の主旨。

@  「子どもは変ったか?」と言えば、「周りの世界をわかろうと常に集中して生きているものとしての子どもは変っていない」と言えるだろう。
A  しかし、「変ったもの、問題化したもの」は、「子育ての仕事化」である。子育ては、家事の一部であったものが、「仕事」になっていった。仕事は成功しなければならないから、「比較、評価、値ぶみ」が進行し、子育ての結果を求められ、子どもにストレスがたまるようになった(親も)。児童生徒調査(全国学テ)の中で、中学校の4割の子どもが「自分にいいところがない」と答えている。子どもたちの社会で「空気を読む(読めない人を「KY」)」ということが言われているが、「空気」とは、力のあるものがつくったもの(思うようにしたい人が作っているもの)で、それに自発的に服従せよということを「空気を読め」」と言っているのである。「空気」とは読むものでなく、「作る」ものである。また、「臆病」というのは病気である。いつも「人からどう思われるか」が気になる。自分の舌や鼻など五感が衰退してきているので、「自分で考える力」を失った。
B アメリカでは「いかに人に物を買わせるか?」ということが研究されてきた。消費社会の進行は人をバラバラにすることにつながる。ペットボトルを例にとれば、再生率は3〜5%であり、大部分は焼却されている。リサイクルという活動に消費者を参加させ、体にすり込ませる。罪悪感を正義感に転化させる手法が開発され普及している。
C 企業が人間を「捨てて買う」消費社会へ追い込んできたが、現在進められている「教育改革」も、子ども・教育を数字化すること、「使い捨てのもの」のようにしていくことである。「家庭」への介入などを教育再生会議が提言しているが、本来「家庭」というのはプライベートな空間であって、それに介入することは人権侵害である。
D 1930年代から「労働者をおとなしくさせる」ための研究が産業心理学の分野で進められてきていた。それは、相手に「しゃべらせる」だけで、管理者は「聞くだけ」ということに徹した。学者も権力に加担させられた。次第に組合も「カウンセラーをおけ」と要求するようになるが、労使の関係も黙従の関係に替えてしまった。
E 教育改革を越えるには、足元の暮らしの根本から変えることである。消費社会を見直し「食べて人と出会い、寝て起きる」ことから出発する。人なつっこく、お節介でたくましい、非論理、非数字的な思考など「おばさん力」の復権が求められている。「笑い」「無駄話」「おすそ分け」など日々のくらしの中に人と人がつながっていく手法がころがっている。



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