今回、梅雨まっただ中だった沖縄にて、初めて平和行進に参加いたしました。
残念ながら全日程参加することはできませんでしたが、今年の5・15平和行進は、ある意味節目を感じるとりくみです。
「いったい、普天間基地問題はどうなるのかー。」
「徳之島の住民の民意はどうなるのかー。」
沖縄県それから奄美諸島には、米軍統治下におかれたという歴史があります。特に、我が故郷奄美においては、世界に類のない無血のたたかいで復帰を勝ちとりました。その
復帰運動の中心となったリーダー、泉ほうろうさんの出身地が徳之島なのです。厳しい生活の中でも、先人があきらめずに勝ちとったからこそ、今の奄美(徳之島)が
あります。その奄美(徳之島)に負担を強いるというのは、納得がいきません。沖縄にしても、復帰したといえども、基地がある限り住民にとっての完全な復帰とは言えません。その沖縄にまたまた負担を強いるというのも納得がいきません。
アメリカの世界戦略上、沖縄県は重要な地理的位置にあると聞いたことがありますが、「抑止力」という言葉だけで片付けていいのでしょうか?日本政府にとっては、いわゆる中央にとっては、沖縄県も奄美諸島も`はしっこの地`でしかないのでしょうか?
「鳩山首相よ、日米安保・日米地位協定を根本から考え直さなくては、この問題はこのまんまだ。日本のどこかが負担しなくていいように進めていけるチャンス(政権交代)なんじゃないかー。」
そんなことを考えながら、シュプレヒコールに呼応していました。
私が行進をした5・15は、どしゃぶりの雨にも見舞われました。しかし、全国各地から 集まった仲間たちの数(約3000人)と各労組の旗の数に勇気づけられ、最後まで歩き通すことができました。また、通りすがりの車の後部座席から一生懸命手をふるおばぁの姿にも勇気づけられました。
この節目の沖縄5・15平和行進にて感じました。『沖縄は党派を超えて、そして県民の総意として県内移設はノーだ!』ということです。沖縄から学ぶことは多いです。
今回もまた、沖縄から沖縄にて学ばせていただきました。自分の目で見、肌で感じ、そして考える。学びというものは大事ですね。 参加することで、また顔見知りができたこともうれしいことでした。こんな機会を与えてくださり、ありがとうございました。
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