はじめに 鹿教組の情報 ほっと一息
TOPICS イベント情報 リンク
戻る
平和への扉
第18回
「辺野古への旅 -辺野古での闘い- 」

九州ブロック総会出席のため、沖縄に降り立ちました。
少し時間もあるし、せっかくの沖縄なので、辺野古に行ってみようということになり、「海上基地建設反対」の闘いを、もう13年も続けている辺野古のテント村を目指しました。
 昨年も沖縄を訪れて、5,15平和行進に参加し、戦跡と基地の町沖縄を目の当たりにし、デモ行進をしながら「辺野古への新基地建設はんたーい」と、気勢を上げてシュプレヒコールをしたのですが、実際辺野古を訪れたのは初めてでした。
どこまでも続くエメラルドの美しい海、以前は漁業でにぎわったであろう白砂の美しい砂浜の一角に、その名の通りテント村はありました。
丁度、奈良からきていた中学生の修学旅行班別学習の子どもたちと一緒になり、説明を聞くことができました。
 テント村から5分ほど歩いたところに、ものものしい鉄条網を張り巡らした場所がありました。遠くから見ると、その鉄条網はとても美しく見えました。(左の写真)なぜなら、全国各地から、思いを共有する人たちが「美しい海を返せ」「ジュゴンの海を返せ」「新基地建設反対」と、色とりどりの布やハンカチに書いたものが結びつけてあり、リボンのようになり、それがぎっしり無数なので、そう見えたのです。
 浦島さんが話してくださいました。
この美しい浜辺で、戦争の練習が行われていること。すぐ目の前に見えるリーフのところまで軍艦がきて、そこから水陸両用車に乗った迷彩服の米軍が、浜に降り立ち、ほふく前進しながら、これもまた敵軍に見立てた米軍と戦い、羽交い締めにして模擬の銃や剣を喉元に突きつける、とても見るに堪えない、そんな訓練をしているというのです。
 沖合に浜からでもよく見えるリーフも壊され、漁師たちは良をすることは禁じられていないけど、もずくの養殖のため張っていた網は壊され、実際は漁を続けられなくなり、どんどん辞めて行かざるを得なくなったということです。
 説明は、グァム協定にまで及び、「だまされてはいけない」と、穏やかな口調の中にも怒りを持って話してくださった浦島さんの顔を忘れることはできません。
沖縄は、日本の国土面積の0、6%しかないのに、在日米軍基地の75%が集中しているといいます。
「もう、基地はいらない」と、あらためて強く感じる旅となりました。
                                  (鹿教組執行委員 堀 朝子)







トップページへ戻る