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平和への扉
第10回
2月の平和教育

2月の平和教育
 安倍首相が施政方針演説で教育再生と憲法「改正」がわたしの仕事であると改めて主張したようですが、国民の願いはいざなぎ景気を越える好景気だといいながら、その実感がない生活をどうにかしてほしいということと、年金医療介護などの社会保障制度を充実させてほしいということだろうと思います。安倍首相はどうしても日本を戦争のできる国にしたいらしい。戦争のできる国にするには教育の内容に国が首を突っ込もうと考え教育基本法を変えたのでしょう。防衛庁を防衛省に格上げして、そして、次は憲法第9条の「改正」でいつでも軍隊を海外に派兵できる体制を整える。
 私たちは、現行憲法に則り(私たちのしている平和教育は決して憲法違反ではありません。憲法の前文や9条を読んでみてください)恒久の平和を念願し教育をしているのです。自信を持って子どもたちに伝えるべきことを伝えていきましょう。

子どもに伝えたい2月の出来事
2月 3日 日本政府核拡散防止条約調印(1976)
2月 9日 国会で原水爆実験禁止要望を決議(1956))
 1954年ビキニ事件を契機に原水禁運動が盛り上がり、1956年のこの日に、日本の国会は原水爆実験禁止要望を決議し、米国・ソ連・イギリスの三政府に申し入れた。
2月10日 日露戦争始まる(1904)
 日清戦争後、欧米諸国と対抗するためには朝鮮を支配しなければならないと考えてきた日本にとって、ロシアが満州を支配していることは不都合であった。そのころ革命運動の広がりつつあったロシアもまた、革命気分をおさえるためには満州の利権を手放すわけにはいかなかった。お互いの利害が対立する中、1904年2月4日、御前会議において日露国交の断絶、日露開戦が決定された。2月8日、韓国の仁川での日本軍の奇襲作戦で開始され、9日、ロシアは日本に宣戦布告をし、翌10日、ロシアに対する宣戦の詔勅がくだった。宣戦の布告は2月11日の紀元節の日に国民に知らされた。戦費は20億円にものぼり、日本政府は軍事的にも経済的にもピンチに陥った。国民は相次ぐ増税と長引く戦争で働き手を失い、生活が苦しくなっていった。。
2月11日 「建国」記念の日(1967)大日本帝国憲法発布(1889)
 1872年11月の太陽暦採用と同時に、神武天皇即位日とされた2月11日「紀元節」と明治天皇の誕生日11月3日「天長節」の二つを国民の祝日とした。1872年12月3日(旧暦)を1873年1月1日(新暦)と改め、その年の2月11日から、第2次世界大戦集結までは、神話にもとづく「紀元節」として続いてきた。また、1889年のこの日に大日本帝国憲法が発布された。成文第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書かれていた。1948年、「国民の祝日」法律制定に当たって「紀元節」は否定された。しかし、1957年「紀元節」の復活が初めて法律案として国会に提出されて以後、8回も国会に提出され賛否両論が激しく対立した。1966年に「国民の祝日法」改正案が国会を通過し、「敬老の日」「体育の日」は決まったが、「建国記念日」は審議会の審議にまかされた。世論調査や公聴会を経て、2月11日にすることが答申され、1967年から「建国記念の日」は国民の祝日となった。
2月26日 2.26事件(1936)
 陸軍将校らが反乱を起こし、1400人の兵を率い、政府高官らを襲って大蔵大臣高橋是清・内大臣斎藤実らを殺し、首相官邸付近を一時占拠した。岡田首相は危うく難をのがれた。反乱軍は、国の方向を誤らせている政治家を除いて、天皇直々の政治を実現することを主張したが、4日後に鎮圧された。しかし、この事件後、政府議会に対する軍の圧力は一段と強まった。



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