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平和への扉
第4回
子どもに伝えたい7月・8月の出来事

 6月17日・23日は現場で子どもたちにお話しをしていただけたでしょうか。少しの人でも、話していただけたら幸いです。
 7月になろうとしている今、学校現場では1学期のまとめと夏休みの準備に向けて、大忙しの毎日だと思います。
 しかし、この時期は1年のうちでも、最も平和教育のやりやすい時期でもあります。8月6日、9日、15日に向けてマスコミも世間も平和について考えますし、祈りをささげる時期なのです。ですから、子どもたちにもちょっとした示唆を与えるだけで興味関心を持ってもらえます。夏休みに向けて、8月の日本中が祈りをささげる日に向けて、いろんな話をしたり、本を読んであげたり、ビデオを見せてあげたりしてください。夏季休業中の課題の中に入れるのもよいのではないでしょうか。

7月 1日 自衛隊発足(1954年)
6月 7日 ※盧溝橋事件(1937年)
 サイパン島守備隊全滅(1944年)
7月16日 史上初の原爆実験(1945年)
7月26日 ポツダム宣言発表(1945年)
↑このとき、ポツダム宣言を受け入れておけば、
広島・長崎の悲劇は起こらなかった。
7月28日 第1次世界大戦勃発(1914年)

※盧溝橋事件
 盧溝橋は北平の西方十数キロ、永定河にかかる石橋である。
 その盧溝橋で1937年7月7日、銃声が鳴り響いた。兵隊の点呼をすると初年兵が一人足りない(実際は用便をしていたとも言われる)。隊長は中国兵に撃たれたものと思い、応戦の準備をし、牟田口連隊長の命令により攻撃を開始した。
 その後、現地では停戦協定の成立をみたが、陸軍は内地から、2個師団を増派して戦線を拡大していった。8月には上海、12月には南京、1938年5月には徐州、10月には広東、武漢三鎮を攻略した。すぐに、降伏するであろうという思惑ははずれ、国民政府は抗戦を続行し泥沼の長期戦に入った。日本軍の中国大陸における行為には残虐極まりないものがあった。その一例が南京虐殺事件(1937年12月)である。最近、虐殺はなかったとか、人数はもっと少なかったとか言う人たちがいるが、人数が多かろうが少なかろうが歴史の事実に目をつぶってはいけない。過去は過去として真摯に受け止め、二度と悲劇を繰り返さないために、どうすればよいかを考えていかなくてはいけない。

8月 1日 日清戦争勃発(1894年)
8月 3日 日本軍デニアス守備隊全滅(1944年)
原爆殉難、教え子教師の像、除幕(1982年)
8月 4日 学童疎開始まる(1944年)
8月 6日 ※広島原爆投下(1945年) ←「おこりじぞう」という本が
          図書室にあるはず、ぜひ読み聞かせを
第1回原水爆禁止世界大会(1955年 広島にて)
8月 8日 上野動物園猛獣薬殺 (1943年)
ソ連対日参戦(1945年)
8月 9日 ※長崎原爆投下(1945年)
8月12日 ソ連初の水爆実験(1953年)
8月15日 敗戦の日(1945年)
8月22日 対馬丸撃沈(1944年) ← 図書室には必ずあるはず、
             ぜひ読み聞かせなどを。
朝鮮併合、日本の植民地化(1910年)
8月24日 フランス初の水爆実験(1968年)
8月26日 ソ連初の原爆実験(1949年)

※長崎と広島の被害状況

長崎 広島
焼失土地面積 2,031,000坪 4,000,000坪
被害戸数 全焼 11,574戸 55,000戸
被害戸数 全壊 1,326戸 6,820戸
被害戸数 半壊以上 5,509 3,750戸
被害戸数 半焼 2,290戸
人的被災 死者 73,844人 118,661人
人的被災 傷者 74,909人 82,807人

広島建物被害S20.11.30 広島県警発表
人的被害S21.8.10  広島市調査を採用
一坪 3.3u

 今日、広島・長崎を壊滅させた原爆よりずっと強力な数十万発に相当する原水爆が製造・配備されています。もう2度と広島長崎であった悲惨な出来事は繰り返してはなりません。



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