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「編集後記から」


 「いばらの道をわれらゆく」という歌詞が組合歌にある。これは、戦時体制の中で合法的に行われた弾圧から、今後も続くであろう理不尽な攻撃を「いばらの道」と想定、挿入されたのだと私は受け取っている。
 解放同盟の山口委員長は、定期大会での来賓あいさつで、「大会開催、おめでとうございます」というのには、深い意味があると述べる。それは、「『言論や表現の自由』を奪われ、大会を開くことを妨害されてきた歴史がある。先人たちは、闘いを重ね、その上に妨害されることなく大会を開催できることを喜んだのだ。だから闘いの結実としの『おめでとう』なのだ」。
 全国教研会場拒否問題は、新聞各紙でも大きく取り上げられた。近日、政府関係者でさえ「法治国家にあるまじきこと」と述べている。
 九〇年代、地域で開催されている「母と女性教職員の会」の会場を貸さないということがあった。行政への要請行動がさかんで運動が盛り上がっているところで。また、攻撃をうけ自主規制の結果、「母女」の名称を換えて開催しているところもある。最近の全国的な動きとしては、男女共同参画や「従軍慰安婦」問題など、体制側が「まずい」という人についての集会などに攻撃を加え、会場借用を拒否してきた事例がある。
 憲法の理念である「民主主義」は、個人個人に備わっていることではなく、「民主主義を実現していく」ことを保障するというものだ。さまざまな主義主張があることは前提で、保障しようというのが基本的な考えかたである。だから右翼の街宣も、「公共」という場での音量規制や街宣の内容が名誉毀損にあたらないかを最低限のラインとして設け、活動そのものは規制できない。
 今回の問題は、その「司法判断」があったにもかかわらずホテル側が拒否したことには、何か裏事情も臭う。(警視庁当局も厳重な警備を約束したというのに)
 伊藤前長崎市長が防弾に倒れた事件は記憶に新しいが、暴力によって「言論」を封じる、抹殺しようとすることは、絶対に許されるものではない。
また、「右翼という暴力や権力による圧力に屈する」ということは、それらを助長していくことになる。私たちは常に自らの暴力性や権力性にも目をむけたいものだ。
 厳重なバリケードがなければ、全国の仲間と「教育実践」を交流することもできない。このことこそ「法治国家」とは呼べない。
この「壁」を撤去すること。「学ぶ場」を誰からも奪われないこと。「いばらの道をゆく」という覚悟が日教組がこれからも歩んでいく道である。
(2008年2月10日号より全文を掲載)


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