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あなたも経験してみませんか? 〜男性の育児休業体験談から〜 その@

 1992年から男性でも育児休業が取得できるようになった。学校の多忙化、勤務の特殊性、男性が育休を取得することによる環境の不整備(意識・慣習)などにより、取得はすすんでなかったが、06年では9名が取得し、97年からの取得者は、42名となった。最短取得日数は20日、最長取得日数は576日となっている。取得者の年齢も20代から40代後半まで幅広い。
 今回からシリーズで育休取得者の声を掲載する。

「育児休業体験記」
東谷山中学校   山元 研二

1 取得まで

 私は05年の12月から06年の7月まで育児休業を経験した。育児休業をとってみようと思った理由はいくつかある。
 一つは、当時1歳だった息子と「じっくり向き合ってみたい」と思ったことである。子どもが病気になるたびに妻と「どっちが休もうか」と相談する必要もなくなるし、産休・育休が続いた妻に「久しぶりに担任をさせてあげたい」という気持ちもあった。そして、もう一つの理由は「現場を離れてみたい」というものであった。職に就いて18年間、四十路を迎えていろいろな壁にぶつかっていた自分としてはもう一度自分を見つめ直し、教育現場を外から眺めていたいという気持ちからである。学校長から市教委に問い合わせてもらったところ、「育休は連続してとることになっているので難しい」ということであった。つまり、妻が育休終了の時点でそれを引き継ぐべきであったということであった。妻はその時点ではすでに復帰して10ヶ月を経過していた。したがって、「取得は困難」という声はあちこちから聞いていた。しかし、「取得するぞ」という気持ちを固めていた私は何度も校長に面会に行き、市教委にも何度も問い合わせてもらった。「なんとかなる」という根拠は、県が出していた方針「男性の育児休業取得を推進する」という文言であった。「推進するには環境を整えるべき」と要求した。その要求は受けいれられた。11月の時点でOKが出たのである。11月18日に社会科の公開授業(九州中学校社会科研究大会)を終え、12月の成績処理も済ませて終業式当日から育休に入った。「なぜ終業式当日からか?」答えは「集会で挨拶をしたくなかった」からである。

2 一日の流れ

 朝起きて食事の準備をすることから1日がスタートする。それまでと違ってゆったりとしたリズムで始まる。妻が出勤した後、食事の片づけや洗濯物干し、掃除機をかけるなどしているとだいたい8時が過ぎてくる。その頃、車で娘を保育園に送っていく。最初の頃は、保育園の子ども達が「どうして、ゆうきちゃん(娘の名前)のおうちはお父さんばかりが来るの?」と不思議そうに言っていた。交替で送り迎えは珍しくないのだが、「お父さんばかり」というのはやはり珍しいようである。「お父さんがお休みでおうちにいるからだよ」と答えるが、子どもたちはピンと来ないようである。
 保育園を出てからはそのまま海岸近くの公園に向かった。目の前に海が広がり、砂浜や芝生がたっぷりととってある「まだ工事中」の公園である。そこで、1歳の息子とサッカーをしたり、追いかけっこをしたりして小一時間ほどを過ごす。ほとんど誰もいないことが多い。至福の時間である。
 その後は2時間ほどドライブに出かける。息子はこの時、眠ってしまうことが多い。私はそれを利用して本を読んだり、史跡巡りをしたりする。昼食は、出かけた先でパンを食べることが多かったように思う。一番多く訪ねたのは、やはり動物園であった。5回行ったと記憶している。何と言っても、200円という入場料が魅力である。それに、結構歩くので運動にもなるし、その疲れで息子は簡単に昼寝してくれる。
午後は、近所の図書館に行ったりするが、息子と一緒に家で昼寝することも多かった。妻からは「昼寝している間にいろいろやって欲しい」と言われてはいたが、ついつい「一緒にうとうと・・・」としてしまうのである。絵本もずいぶん読んだとは思うのだが、食事を作っている時とか掃除している時などはビデオを見せることもあった。そっちに集中してくれるのでこちらの仕事がはかどるのであるが、テレビ漬けになることの問題をあちこちで聞いていたのでちょっと反省している。
 午後3時過ぎころになると、ずっと夕食のことばかり考えていた。楽しみなのである。みんなそうだとは思うが、家事で一番楽しいのは「食事を作る」ことである。別にたいしたものは作れないのだが、「食べる楽しみ」を考えると思わず力が入ってしまい、エンゲル係数が高くなりがちだったように思う。この時の影響からか、父の日の娘のメッセージは「いつもおいしい料理を作ってくれてありがとう」だった。
 5時前には娘を保育園に迎えに行く。妻の帰りが遅い時は、そのまま公園に遊びに行くことも多かった。よく娘が「私もお休みしたい」と駄々をこねるのでこういうサービスは大切である。夕食は妻が帰ってくる頃、ちょうど食べられるようにしておく。今でもそうだが、夕食の時だけは全員揃って食べるようにしている。食事後は、妻が子ども達を風呂に入れてそのまま3人で寝る。私は、食事の片づけと洗濯をした後、深夜本を読んでいた。育児休業中で読んだ本は50冊くらいだろうと思う。その中には育児本もあった。今でも売れている「子育てハッピーアドバイス」はかねて思っていたことを書いてくれているような気がした。
                                       (次回に続く)


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