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あなたも経験してみませんか? 〜男性の育児休業体験談から〜 そのA
(前回からの続き)
東谷山中学校   山元 研二

3 ジェンダーの始まり

 休業取得当初、よく妻と娘が口論をしていた。娘が「どうしてお母さんがご飯を作らないの」と食ってかかるのである。私と妻で「育児休業」の話をするのであるが、娘は「お母さんが作らないといけない。どこの家もそうだ」と譲らない。おそらく、保育園の友達からいろいろ言われているのだろう。ただ、あまりにもしょっちゅう口論があるので、よく私は叱りつけた。妻は「根気よく話す」がモットーだが、私はすぐに短気を出す。反省はしているが、「叱る」場面も必要だとは思う。しかし、この口論も育児休業も1ヶ月を過ぎるころにはほとんどなくなった。それどころか後半は、雑用が見つかると娘が「お父さんにさせれば」と言うようにまでなった。いいのか悪いのか・・・。
 他にも、保育園のやりかたにも少し違和感はあった。着るものや履くものは男女で「色分け」されており、先生達から再三「男の子だから」「女の子だから」という言葉を聞いた。実際の保育園の生活にもそれが色濃く反映されていた。これについては、妻が奮闘した。
 その保育園は小学校といっしょに「保幼小連携」の研究公開に向けてとりくんでいたのだが、公開当日全体会で妻は「ジェンダーについての研修を深めてもらいたい」と要望を出したという。反応は早く、保育園からは「研修をしたいので、講師を紹介してほしい」「ジェンダーフリーの絵本を揃えることにしました」と連絡があった。保育園の先生の中にも同様の考えを持っている人がいて、「共感」の手紙もきたりした。
ただやはり、「男らしさ、女らしさ」の刷り込みは相当早くから行われていると思ってよいのではないかと考える。「家庭できちんと」は確かにそうであるが、子どもたちは集団の環境の中で育つので、私たち自身が保育園や学校教育とどう関わっていくかは大切なことのように思える。ただ、この問題は「けっこう敵を作る」ような気がした。「生き方」に関わるからであろうか。

4 学校を離れて

 この2年ほど、教師という職業に「行き詰まり」を感じていた。10年ほど前は「絶好調」の時期で、「天職」とまで思っていたのであるが、最近は様々な要因からストレスがたまり、「天職」ならぬ「転職」を考える日々が続いていた。柄にもなく胃が痛み、学校のトイレで吐いたりすることさえあった。が、育児休業に入ってからはそういう体の変調は一切なくなった。それは、育児休業終了後も続き、心身ともに健康な状態が維持されている。それが「現場を離れたから」かどうかはわからないが、「リフレッシュ」されたことは間違いないと思われる。
育児休業の動機としては「不純」かも知れないが、結果としては子どものためにも良かったのではないかと考えている。また、不思議なことに育児休業に入った途端に子どもは病気をしなくなった。同僚の分析によれば「親がそばにいる安心感からでしょうね」ということであった。そんなもんなんですね。

5 育児休業を終えて

 現場に復帰してもう半年が過ぎた。家庭も学校も「まあまあ」順調なような気がしている。反省の一番のポイントは「子どもにとってどうだったか」なのであるが、3歳になった息子はもちろん「良かった」とも「悪かった」とも言わない。きっと大きくなっても「覚えていないだろう」と思う。ただ、育児休業をとったという事実はあるし、6歳になった娘ははっきり覚えているので、息子が大きくなったら機会をとらえて「おまえと一緒に…」という話をしようと思っている。そして、息子にもそういう経験をしてもらいたいとも考えている。その頃は「珍しい」と言われない時代になっているといいのだが…。ともかくも、無事育児休業を無事終えたことを妻をはじめとする多くの人に感謝したい。
 補足を2つ。まず1つ目。育児休業日記をブログという形でつけ続けた。私としてはけっこうマメにやったと思う。いつか子どもたちにも見てもらいたいと思う。
2つ目。育児休業は経済的にはけっこう大変である。休業2年目、3年目は無給なのだが、保険やローンなどは払い続けたので、「想像以上にきつかった」と妻が言っていた。


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