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 05年9月の総選挙で大勝してからというもの、小泉内閣は「小さな政府」という目標を掲げて走り出した。
なぜ「小さな政府」を目指すべきなのか?きちんとした説明はない。「小さな政府」を目指すべきだと合意が形成されたということもない。にもかかわらず、公務員の削減とか、医療費の抑制だとか施策は着々と進められ始めている。
2005年度版「経済財政白書」の中に「小さな政府」を取り上げている。公務公共サービス労働組合協議会から出版された『「小さな政府」を考える』(山家悠紀夫)を紹介する。
  ※文中の図表は省略しています。

「小さな政府」を考える
〜「経済財政白書・第2章」の批判を中心に〜      山家 悠紀夫

現状は「小さな政府」である!

政府の大きさについて、「白書」は2つに分けて定義している。1つは「政府支出の規模や国民負担の大きさ」、いま1つは「公的規制の強さや公的企業が経済に占める大きさ」。この2つから政府の大きさが議論されるとして、現状はどうなっているかをみている。
 以下、「白書」の図表によってみると、まず、全体としていえることは、日本の政府の規模はかなり小さい方に入るということである。第2-1-1図は政府支出の経済規模に対する比率だが、OECD30ヶ国の中で日本は小さい方から6番目である。OECDの平均が40%を超えている。日本は30数%であり、平均を下回っている。OECDの中でもアメリカとか日本のように低い国があり、そういう国を除いたヨーロッパの平均をみると50%近いところに数字がある。日本は相当に政府支出の規模は小さいということがここで出てきている。
 そうした政府支出の対経済規模比をさらにサービスの部門別に分けたのでみたのが付表2-1である。こういうくくり方はどうかなと思われる部分もあるが、ともかく「一般サービス・治安」「経済・公共」「文化・教育」「保健・社会保障」というくくりで、やはりそれぞれの政府支出のGDP比をみている。「一般サービス・治安」は、日本は5.5%で、ほかの国よりはるかに小さい。「文化・教育」も極めて小さい。「保健・社会保障」などはもっと相対的に小さくて、フランス、ドイツなどの3分の2ぐらいの支出規模である。そうした中で「経済・公共」だけはほかの国に比べて大きいという状況があらわれている。以上が日本の政府支出の状況であり、公共事業等を除いては、どの分野をみても日本は極めて小さな政府であるというのが示されている。
 もう1つ、国民の負担の方はどうか。税とか社会保険料という形で国民が負担している金額の国民所得に対する比率を見る。第2-1-2図がそれで、ここでは財政赤字、これも最終的には国民負担だということで、国債発行等も負担の方に入れているが、それを入れてもやはり日本は非常に小さな政府となる。右から4番目であるから非常に小さい。財政赤字の額を入れても40%台半ば、それを除くと30%台で、大国ではアメリカと並んで国民負担の小さな国であるということになっている。
 ヨーロッパの主要国は大体60%ぐらい。オランダ、ポルトガル、チェコ、イタリアあたりは60%ぐらい、フランスは70%近くで、スウェーデン、デンマークは70%を超えているという状況が示されている。
 なお、「白書」では書いていないけれども、総務省のつくった資料によると公務員の数も日本は極めて少ない。人口千人当たりの公務員の数を経済財政諮問会議に総務省が各国比較して出しているが、日本は千人当たり35人、これは国家公務員、地方公務員、政府の企業の従業員も含めた人数である。日本35人、それに対してドイツは58人、イギリスは73人、アメリカが60人、フランスは90人という数字が発表されている。ということで極めて公務員の数が少ない。
 支出規模が少ない、国民負担の割合も小さい、公務員の数も少ないということからどういうことが考えられるか。さきにも触れたが、ヨーロッパの政府がよほどむだな支出をしていると考えるか、あるいは日本政府がヨーロッパ政府がやっているようなサービスをやっていないと考えるか、あるいは日本の公務員がものすごく働いていて、欧米の3分の1の人数でも3倍ぐらい働いているので何とかなっていると考えるか、いろいろな答えが出てくる。
 事実としては、日本政府はやるべきことをやっていないという答えがかなり正解に近いのではないかと思われる。もちろん、ものすごく働いているという公務員もいると思うが、一番考えられるのが日本政府がやるべきことをやっていないということである。社会保障の面ではそういう事実がたくさんある。フランス、ドイツの3分の2の支出しかしていない、医療にしろ年金にしろ、非常にサービスが劣っているということがある。
 教育の面なども顕著で、最近のOECDの教育面を国際比較した数字によると、日本の小・中学校の1クラスの生徒の数はOECD30ヶ国中、多い方から2番目である。一番多いのは韓国で、その次が日本。これは言い方を変えると、日本の小・中学生は先生のサービスを少ししか受けていないということである。あるいは先生が一生懸命働いて、倍の働き方をして、例えばヨーロッパで20人の子どもの面倒をみているのを40人みているということになるかと思われるが、ともかく、そういう事実がある。
 また、高等教育に係る個人負担という点では日本が一番高いという事実も出てきている。実際に日本政府の教育費の支出は少ない。OECDの分析で教育費支出のGDPに占める割合をみると日本は少ない方から2番目。一番少ないのはトルコで、その次に日本、そういうことが現象として出てきている。
 政府のやるべき仕事という面から考えると、以上の現状からは小さな政府にしなければいけないという答えは出てこなくて、ヨーロッパ諸国並みの政府サービスをするとすれば日本政府はもっと大きくなければ役割を果たせないということになる。「白書」がそう主張してもおかしくない。むしろ、そう主張した方が納得的である。ところが「白書」は、以上の事実をいろいろ示しただけで、そこから議論を一向に発展させていない。そして「白書」はそうした小さい政府をさらに縮小すべきという。論理的にわからない。
 次に、第2-1-5図である、政府の権限についてである。これはOECDの統計を使って規制がどれだけ強いかを数量化して比較している。98年と2003年のグラフがあるが、2003年の方をみると、ここでも日本は、左の方、ということは小さい方、政府の規制が弱い方の国に既になっている。ほかの国は日本以上に規制がいろいろあるということであり、日本政府は規制をもっともっと緩和しなければいけないということは国際比較でみてはいえない。むしろ必要な規制もやっていないのではないかということがいえる状況になっている。
 ちなみに、具体的にみても、労働面の規制、例えば残業時間の規制などは日本の規制はヨーロッパ諸国に比べてはるかに弱い。日本では労使協定を結べば時間外はほとんど野放し。厚生労働省の指導基準は年間360時間であるが、ヨーロッパでは1日2時間以内とか、週に10時間以内とか、月に20時間か30時間以内とか、年間100時間以内とか、そういう残業時間の規制がある。あるいは建築などの規制でも、まちづくりなどの規制がヨーロッパは結構強い。アメリカでも、都市単位などでみるとそういう規制は結構あるが、日本は緩やかということがある。そういうことで、ここでも日本の規制は既に弱い。小さな政府であるということがみられる。

おわりに 〜「小さな政府」がもたらすもの〜

 最後に「小さな政府」で何が懸念されるかをまとめてみよう。
 1つ、社会保障制度が相当厳しいものになってしまう。
 2つ、政府サービス、教育とか保育、文化、福祉等々が低下して日常生活が不便になる、不自由になる。要するにそれらのサービスを受けるのにお金がかかるようになる。
3つ、安全性の低下、将来不安の高まり等が起こる。こうした変化は、それでもお金がある人はお金でサービスを買えばいいのであるから耐えられる。それでもいいということであろうが、買えない人にとって「小さな政府」は大きな問題をもたらすのではないかと思う。
 4つ、これは極めて大事なことだが、労働条件が全般的に厳しくなる。官、民ともにひたすら賃金が安い人を雇う、民営化によっても委託によってもそうであるが、全般的な労働条件の劣悪化が生じる。ただでさえ現状は労働条件が非常に厳しくなっている、それに一層拍車をかけるような結果をもたらす。
 政府サービスの利用者である市民の立場からみると、政府サービスであることには安心感がある。
 1つは、権利としてサービスが享受できる。これは大きなことである。サービスの提供者が営利会社であると文句をいっても、「そういうことをやっても儲からないからできませんよ」といわれれば「まあそれはそうですね」といわざるを得ない部分がある。官だとそういうことはあり得ない。
 2つに情報の問題が極めて大きい。民間委託等になると情報がちゃんと守られるかどうかという不安が出てくる。
 3つ、継続性の問題もこれから次第に出てくるであろう。
 4つにクレームの問題がある。いいサービスをしてもらうのはそれでいいとして、気に入らない場合に、官だといろいろクレームを言っていく場所がある。直接職員に言ってもいいし役所に言ってもいい。あるいは議会等を通じて行動する方法もある。そういう形で利用者の権利がきちんと保障されているということがある。そして、何かあった場合に官が相手だと、もし官が間違っていればきちんと損害が補償される。それは絶対補償されるのだが、民だと会社がつぶれてしまえばそれまで。昨今問題になっている建築確認の問題は特殊な例というか、政府が大金を使って補償するということになりつつある。これについては、そうしないと規制緩和路線自体が危うくなる危機であり、そこからそういう対応をすることになるようであるが、すべてがそういうわけではない。
 最後に、働く人の立場からしても、官で働く方が働きがいがある。人々のためにという論理で働ける。片や企業で働くと、何としてもとにかく儲けにつながらなければいけない。最終的には儲けにつながるから働くということになってしまう。生きがい、働く人の働きがいとしても「官」から「民」へには大いに問題が出てくる。
 本当に必要な官の分野は官の分野として、そのサービスの利用者である国民が、サービスの提供者である「官」の人々とも手をつないでしっかり守っていく必要がある

市場化テストで質がテストできるか

 第2節はこう始まる。「今後、少子高齢化が進む中で、将来の政府の姿は『大きな政府』へ向かっていく可能性があるが、経済の活力を維持し、公的部門の大きさを持続可能な範囲にとどめるためには、現在の段階から『小さな政府』へ向けて改革を進めていかなければならない」。いきなり、結論がぽんと飛び出してくる。
 一応、「官は真に官が行う必要性がある業務を行っていくことが重要である」と書いているが、ここでも何が真に官が行う必要性がある業務かについては、全く触れていない。そして、主題は「官」から「民」への手法に移っていく。
 まず、「市場化テスト」である。「官と民の線引きはかつてのように必ずしも明確でないという状況にある中で、『市場化テスト』は、官民競争入札によって直接効率性を比較することで、新たな官と民の役割分担を行うものである」という。「官民競争入札を実施し、価格と質の面でより優れた主体が落札し、当該サービスを提供していくことになる」と書き、「市場化テストでは、官が業務を行うためには、官民競争入札により、官が価格と質の面でより優れていることを示す必要がある」と書いている。
 ここでの最大の問題は、質の比較が可能かどうかということであろう。官が提供するサービスと民が提供するサービス、質が全く同じであれば、それは効率的な方がいいということをとりあえずは言えるかと思うが、官というのは「いいサービスを提供しなければいけない」という宿題を与えられてやるところであり、民は「儲からなければいけない」ということでやっているところである。民でも官と同じサービスがきちんと提供されるかどうかは問題である。
 これは、職安の「官」の人の話である。職安では企業から求人の申し込みが来ると、そこに例えば年齢制限がしてあると、「この年齢制限は外せませんか」という交渉をして、より良い条件にした上で職業あっせんするという努力をしている。それは効率には全然関係ない。むしろ、ものすごく時間がかかる。ところが、企業の求人申込みを民が受け付けるようになると、「こういう求人です。この求人が要求している年齢条件に合致していますから、はい、あなたはこちらへどうぞ」、それで1件成立、という格好で効率本位に流れていくのではないか、そういう危倶がある、と。それはそのとおりであり、それに類似したことは多数あろう。職安のようなサービスを市場化テストの結果で、民の方が効率的だと民営化させれば、求職・求人がどんどんマッチングして、話がまとまった、ということになる。ある程度能力がある人にはそれでいいかもしれないけれども、厳しい人、ハンディキャップを負っている人にはいつまでもたっても就職口が出てこないということが起こるのではないか。
 現在の職安が行っているそういう仕事まで考慮に入れると、サービスの質の比較は市場化テストではほとんど不可能であろう。形式的に、仕事ができるかどうかということだけでコストを比較して、コストは民間の方が安いということが出てくるのではないかという危倶が大いにある。
 次に、「官から民へ」の手法、いろいろな手法が第2-2-1表にまとめられている。これはこれで整理するのにいいが、この表には最も重要なポイントが抜けている。各手法の問題点が書かれていない、ということである。この手法をとった場合どういう問題が起こる懸念があるか、せめてそれぐらいはきちんと書くべきではないか。こういう点に配慮する必要があるとか、こういう点をきちっとすればいいというまとめが必要であろう。この表では、ただこういう手法があると比較をするにとどまっている。そして、コストの面だけを比較して、民の方がよろしいという結論をこの後導き出しているわけである。

指定管理者制度にしてよかった?

 具体的な話として、「白書」は指定管理者制度の評価を行っている。ここでもアンケート調査によっているのだが、指定管理者制度を導入することによってよくなったというのが第2-2-6図である。利用者サービスの満足度は、「大いに向上した」「やや向上した」がかなり占めている。「悪くなった」という答えはない。効率性も「大幅に改善」「やや改善」「あまり変わらない」という答えを引き出して、指定管理者制度はいい制度であると言っている。
 問題は、誰に対してアンケートをしたか、ということである。事業者にアンケートをしているのである。指定管理者制度になる前に事業をやっていた団体等にアンケートをし、同時に、指定管理者制度になってから管理を引き受けた会社、団体などにアンケートをしている。その結果、こういう答えを引き出しているということである。利用者の満足度が向上したかどうかというのは、本来は利用者にアンケートすべきだと思われるが、サービスを提供している側に「サービスは上がったと思いますか、下がったと思いますか」と聞くと、「上がりました」と答えるのが普通であろう。そういうアンケートをもとに、「サービスがよくなった」と堂々と「白書」に書くのは大いに常識が疑われるのであるが、ともかくそういうことをやっている。
 もう少し付け加えると、現事業者の方は、当然ながら自分がやっていることはいいという方に答えるというバイアスが相当強く働くはずである。やってないサービスでもやっているような答えをしたい。そしてそうしても誰にもチェックされない。アンケートだから、いいように答える。
 一方、元の事業者はもう外れたわけであるから、比較的正直に答える。現事業者と元事業者の間には、正直に答えるかどうか、その答え方にそもそもバイアスがかかる。そういうアンケートをするとよくなったという結果が出てくるのはわかっていることである。しかし、そういうアンケートをして、「指定管理者制度はいい」との結論を出している。
 アンケートの対象がそもそも問題であるということに加え、アンケートの内容を見ても問題がある。よくなったか悪くなったかというのが専ら形式面で測られている。例えば利用者へのサービスという面では、サービス内容をパンフレットやホームページで公開しているか、相談窓口を作っているか、苦情窓口を作っているかが判断基準である。それらをやっていれば評価が高くなる。要するに、すべて形式である。その他、サービスマニュアルを作成している、サービス水準を数値化して設定している、行政担当者に月1回報告をしている、利用者との会議を設置している等々、評価基準のほとんどすべて形式面である。形式をきちんと整えていても、非常にひどいサービスになっているということがあるわけだが、そういう実質面はほとんど評価されない。
 もう1つだけ言うと、回答者の中身が前事業者と現事業者で変わっている。アンケートに答えた団体等の比率を見るとレクリエーション部門、それから産業振興部門で現事業者の方が前事業者に比べかなり高くなっている。企業などが比較的やりやすい分野の回答が増えていて、医療・福祉、教育・文化部門は回答者の比率が下がっている。要するに、本当に住民にとって質の問われるようなサービス分野では回答者が減っていて、答えやすいというか、レクリエーション施設の管理とか産業振興施策、そういう分野での受託者の回答比率が増えている。そうした回答者の変化を考慮せずに現と前を比較している。結果としては現の方がよくなるのは当然ともいえる。
 1つは現事業者、前事業者の間にある回答姿勢の偏り、もう1つは回答した事業者の構成の変化、それから形式主義である、そういう3つの大きな疑問を含むアンケート調査である。しかし、ともかくも、これで「指定管理者制度がいい、効果を上げている」という答えを出している。
 指定管理者制度にはいろいろな問題がある。まだ始められたばかりで問題の多くは具体化していないが、これから利用者へのサービスの質が強く問われる教育とか文化施設、そういう分野で指定管理者制度の採用が多くなるのであろうが、それにつれて問題がこれから出てくるかと思われる。
 懸念されていることが幾つかある。
 1つは料金の設定が問題になる。今は無料のところが有料化されるのではないか。
 2つは利用許可の公平性、それがきちんと守れるかどうか。役所とかそれの外郭団体の運営であると、その辺は行政であるからきちんと節度をもって守れるであろうが、それが怪しくなるおそれがある。3つ目。いざ問題があったときに、委託された業者では利用者は苦情がもっていきにくい。行政だと議会に言うこともできるし、いろいろな格好でチェックができる。そのチェックがきかなくなるおそれがある。
 4つ。継続性の問題がある。指定管理者制度の下では、管理者を3年か5年で見直すのがよろしいというような感じであるが、民間企業、あるいはNPO法人にしても、受託した仕事がしんどくなったらやめることが可能である。しかし、やめた後で後がすぐにみつかるかどうか、あるいは事業を継続して行う中でだんだん蓄積が積み上げられていくことができなくなるという問題が出てくる。
 5つ目に、当然のこととして、そこで働く人の労働条件が厳しくなる。ということは、だんだんプロがそういうところで働かなくなって質が下がる。本当に必要なサービスが提供されなくなるということが起こるのではないか。そういういろいろな問題を指定管理者制度は抱えているということである。

民営化でよくなった?

 民営化の経済効果ということで、「白書」はNTT、JR、JTについて、民営化によってこのようによくなったということを言っている。民営化後の1人当たり経常利益、生産性が上がった。要するにもうかるようになった、効率がよくなったということを言っている。
 もう1つ、「資本市場に与えた影響も大きい」と。どういうことかと言うと、株式市場で売買される株が増えた。NTTの株やらJRの株が売買できるようになって、要するに人々の投資機会が増えた。これを評価している。
 こうした中で、全く触れていないのが安全性の問題である。この「白書」の出る前にJR西日本の大事故があった。そうした民営化によって起こったと思われる事故については全く触れていない。あるいはサービスが非常に低下した、国鉄民営化によって過疎地の路線がどんどん切り捨てられた、あるいは不便なダイヤしか組まれなくなった、駅員が非常に少なくなって利用者の利便性というか、そういうものが損なわれているということがあるが、それにも全く触れていない。
 そういう面を全く抜きにして、どれだけ効率が上がったか、収益が上がるようになったかということだけを言っている。しかし、それについても、NTTについては需要が非常に伸びる産業になってきたということがあるかと思われる。JRについては、足を引っ張っていた部分をどんどん切り捨てて効率の上がる分野だけに特化した、それと大変な労働強化を行って、結果として生産性が上がったという面がある。そういう負の面には全く触れずに民営化礼賛。だから、この後、郵貯もこうやった方がよろしいという議論をしている。
 ひどいのは第2-4-2図である。民間の方が生産性が上がる、病院とか訪問介護とか保育所における官民の生産性格差がこれだけある、というのをグラフで示している。医療、訪問介護・保育所、いずれも民間の方が生産性が高いという図であるが、何で生産性を見ているか。病院の生産性は、一ヶ月当たり患者数で見ている。患者さんをたくさんさばいている、それで生産性が高いといっている。保育所でいうと、投入資本と投入労働当たりの利用児童数掛ける開所時間数、それで見ている。保育所がたくさんの子どもを長時間預かれば生産性が高いことになるという恐るべき試算をしている。経験年数の浅い低コストの保父さん、保母さんを雇って、しかも定員を増やした。そうすると高い生産性ということになるわけだが、これは利用者の立場から見ると猛烈に質が低下したということである。ベテランの保母さん、保父さんがいなくなってちゃんと面倒をみてもらえなくなったとか、子どもがたくさんになって保父(母)さんの目が届かなくて危なくなったとか、いろいろな問題があるかと思われるが、そういうことは全く度外視して、「生産性がこれだけ上がった、だから民営化はいい」という議論になっている。図の注に難しいことがいっぱい書いてあるが、ここでの分析がこういう工夫や作業をしてやる価値があるのかどうかということを研究者なら最初に疑わなければいけない。その辺は抜きにしてひたすらこういう分析をしているのは研究者としての堕落である。
 第3節で述べている、地方についても同様で、市町村合併によって効率性が上がったという、それは職員一人当たりの人口が増えた。要するにその分サービスが低下したことをもって効率が上がった、生産性が上がったとして大いに評価している。

4「白書」の主張(第2章のまとめ)を読み直す

 以上、みてきたことを踏まえて「2『白書』の主張」のところで紹介した「本章のまとめ」に戻ってみよう。
 第1節では、政府の規模が大きくなると成長率が下がる、だから「小さな政府」といっているが、@成長率で評価するという視点自体が政府の評価としてはおかしいということがある。経済成長率が高まればいいのであれば政府がなければ一番高まるという結論が論理上出てくる、そういうことをいっているわけで、その評価手法自体がおかしいという。加えて、A「小さな政府」ほど成長率が高くなるということもいいかげんな関係式で言っているということがある。また、「国民が小さな政府を志向する傾向がみられる」ということは、その根拠とするアンケートが極めて単純過ぎる、加えて誘導尋問的なアンケートによってこういうことを言っているということである。
 第2節「官から民へ」では、「様々な『官から民へ』の方法について、その長所短所を考察した」とあるが、短所については少しも考察していない。専ら官の短所、民の長所、これを比較したということであるから、このまとめの文章はうそを言っている。また、「民」によって「公共サービスの質についても高め得る」と書いているが、質が高まったという証拠はどこにも示されていない。現事業者に聞くと、「質が高まった」との答えが得られた、というにとどまるのであって、ここは飛躍した表現となっている。さらに、「民営化は収益改善、民間事業者の参入促進など大きな効果があった」と書いているが、これもマイナスの面、最近では建築確認の問題、あるいはタクシー業界の大変な状態なども話題になっているが、そうした規制緩和とか民営化のマイナス面には全く触れていない。
 第3節「国から地方へ」のところも「広域化により規模の経済性のメリットが現れている」といっているが、これは一職員当たりの住民数が増えてきたといっているにとどまる。それは合併すれば当然であり、その裏には過疎地のサービスは切り捨てられて非常に劣悪化したということがある。そうしたことに触れないで効率性が上がったということを主張しているのである。
 もし、「小さな政府」を「白書」がまともに論じようとするのであれば、そもそも最初に政府とは何であるかという見解をきちんと提示して、何が要らないサービスで、何が必要なサービスなのかと仕分けして順番に話を進めていく、あるいは今欠けているサービスは何かというのをきちんと検討していく、そうしたことが必要であろう。しかし、そうした「白書」には全くなっていない。ひたすら「小さな政府」がいいということを無理やり言っているという白書。この白書は−他の部分もそうであるが−「我田引水白書」と呼ぶべきであろう。今の政府がやっていることがいいことだということを、総力を挙げて、英知を絞って実証しようとしている白書、常識で判断すれば問題だらけの白書である。


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